寄り添ってくれる存在の安心感
発達障害の自助グループで仲良くなった友人から、職場で嫌がらせを受けて悩んでいる、というLINEが来ました。
彼女は今、障害者雇用枠で働いていて、ジョブコーチ制度も利用しています。
LINEのメッセージに詳しいことは書いてありませんでしたが、嫌がらせを受けていることを何度ジョブコーチさんに伝えても、「気のせい」「考えすぎ」と返ってきて、気持ちに寄り添ってもらえていない、不信感を抱いているということです。
わたしも障害者雇用のとき、ジョブコーチ制度を利用していたので、その時の対応はどうだったかと聞かれました。
わたしの場合も、確かに「考えすぎ」や「気のせい」はなんどか言われた記憶がありますが、愚痴を聞いてくれて共感してくれるなど、不信感を抱くようなことはなかったように思います。
心配になって、よかったらお茶でもしながら話を聞こうかと持ちかけたところ、身体的にも精神的にも疲れていて、会うのは控えたい、という返信が返ってきました。
私の立場では、ただ話を聞くことしかできないのがもどかしいところです。
今回に限らず、人から悩みや愚痴を聞いて、話を聞くことしかできない自分にもどかしさを感じていました。
その後、ちょうどカウンセリングがあったので、そのもどかしさを先生に打ち明けてみたんです。
すると、ツラい時にツラさを打ち明けられるような、心配してくれる存在がいるだけでも心の支えになるよ、という答えが返ってきました。
相手の話を聞くだけでも相手の心が少し軽くなると聞いて安心です。
なかなか会えないなら、たまにLINEで調子をきいて、話したければいつでも話してね、と連絡してみてはどうか、とのアドバイスも、カウンセラーの先生からもらいました。
愚痴や辛さを誰にも吐き出せず、心の中にずっと閉じ込めておくのはきついです。愚痴ではなくても、思っていることを言わないことは積もり積もってしんどくなる。
心にたまったものを話すだけで、どうして心が軽くなるんでしょうねえ。
傾聴ボランティアという、ただ相手の話をきいて相槌を打つ、というボランティアがあるようです。
そんなボランティアがあるくらいですから、具体的になにかできなくても話を聞くというのは、相手に安心感を与えるのかもしれません。
本日もありがとうございました^ ^