「ふつうのひと」
まえも似たようなこと書いた。それだけ常にかんがえているということだ。答えはでない。
「ふつうの人」って、なに
とよく思うけれど、やっぱり世の中で圧倒的に多いふつうの人、定型発達さんたちがあたりまえに出来ていることが自分はあたりまえに出来てないって時点で、
「ふつうの人」になりたいと思う。
結局、「ふつうの人ってなに」って疑問も、ふつうの人=定型発達の方々、 って意識してるからの強がりなんだよなぁ。 自分の心にも嘘ついてどうする。
生活していくには苦手なことのほうが多いけれど、得意な部分の才能が突出している凹凸が激しい人(ガラスの仮面の北島マヤもそうだと思います)よりも
特別な才能もないわたしは、 得意不得意凹凸がゆるやかで 生活力のある、定型発達さんに憧れます。 (定型発達さんも個人差はあるだろうが)
人の頭の中を見ることはできないけれど、「ふつうの人」たちの頭のなかってどうなっているのか知りたい。
なぜひとつのことに集中できるのか、とか なぜ出したものをもとに戻せるのか、とか なぜ言われたことを一回で理解できるのか、とか。 誰でもできると言われてる作業がなぜできるのか、とか。
とはいうものの。
他の当事者がよく言うように、 確かに診断を受けた時はほっとしたのだ。
単純作業が苦手なのも 片付けが苦手なのも これはしかたないことなのだと。
しかし。 正直、どこまでが発達障害のせいにしてよくてどこからは甘えなのかがいまいちよくわからないのも事実。
物事は白か黒かだけじゃないんだよ、とはよく言ったものだが
その白黒グレーがわからないんじゃ畜生ッ!!!
ってのが本音。
こんなふうに色々と頭の中でグルグルと考えを巡らせていて、それを口にすると ヒマだからそういう余計なことを考えるんだ、忙しければそんなヒマはないと言われるけれども、
そりゃ確かにそうかもしれないが、 こんなふうに思いを巡らせることのなにが悪いんだと開き直れるようになりたいものだ。
確かに、なにかに打ち込める時間があれば、このグルグル思考で辛くなる時間を少しでも短縮できるのは事実。 なので、考えを巡らせることに開き直ると同時に、新年度が始まったし時間を忘れて没頭できる趣味を見つけたいところである。
本日もお読みくださりありがとうございました(^o^)