母と過ごした1日
母と、新潟県立万代島美術館にて企画展
「ビアズリーと日本」展に行ってきた。
日本でいう大正時代ごろに活躍したイギリス人の画家で、25歳の若さで夭折したというビアズリー。
実質的に活躍したのは7年間らしい。
全体的な感想はというと、
とりあえず、オシャレ。細かい。
勝手な偏見だけどゴスロリ好きな人が好みそう。
嶽本野ばらさんの小説の挿絵にありそう。
ジャポニズム・浮世絵の影響を受けたということで、確かにところどころ、和のテイストがチラホラと。
ニホンザルらしきお猿さんや屏風に似た衝立が描かれていたり。
遠近感のない、平面的なところも浮世絵的である。
後半は、ビアズリーに影響を受けた日本の画家たちの作品群。
本国イギリスでは活躍しながらも物議を醸していた作風だったが、日本では知識人を中心に高い評価を受けていたようだ。
ペンとインクで描かれた作品は当時のメディアのモノクロ印刷には適していたらしく、ビアズリーに影響を受けた日本の画家たちの作品は様々な媒体に挿絵として使われていた。
画家、というよりデザイナーやイラストレーターといったほうが近いかもしれない。
彼らの挿絵が入った広告が掲載された当時の雑誌も展示されていたが、
実はアーティストの作品よりも当時の広告のほうが興味を引いた。
それは母も一緒だったらしく、血脈を感じた。
母とはよく一緒に出かける。
仲がいいと思う。可愛がってもらえていると思う。ありがたいことだ。
自分という人間を構成するひとつであるカルチャー面は、かなり母から影響を受けていると思っている。
趣味が合うのだ。
近況に加えて夫のお母さんに会っているのか聞かれて、母の日でプレゼントとお食事に、と答えたら何故私(母)にはくれないのかと軽く責められた。
そして、なにかあげてもイチャモンを付けられるから、と答えたら
そんなことはない、むしろあんたが、こっちがなにかしてあげても喜ばないじゃないか、と返ってきた。
そうか、相手の態度は自分を写す、というのは本当なんだな。と反省した。
確かに色々買ってもらったりしているのに喜び方が薄かったかもしれない。
親の前で感情を出すのが恥ずかしい。
うーん。
母になにかプレゼントをあげても、なにかしてあげてもイチャモンを付けられると思い込んでしまっているのってなんでだろう。
確かにお礼の言葉は言ってくれるのだ。
でもそれって、最近のような気がするのだ。
余計な心配を掛けたくないから、今年に入って3回てんかん発作を起こしたことも仕事を辞めたことも話していない。
子供がある程度成長して大人になっていくにつれて、親に心配をかけまいとするのって、どこの家もそうなのだろうか。
ビアズリー展のあと、遅めのお昼を食べて買い物に付き合ったが、結局今回も色々買ってもらってしまった。
母の日のプレゼントは指定されたものを買った。
何かあげる時は一緒に買いに行くことにしよう。
とりあえず、今回も子供については聞かれなかったのは安心した。
人のこころは読めないけれど、孫については諦めているのかもしれない。
それならそれでいい。
よくはないけれど、そのほうが気が楽だ。
その前日も、心を病んでしまってカウンセリングを受けている友人に、カウンセリングを受けている実感などを聞いたりしていたら意外と長時間話し込んでいた。
最近1人で家にこもりがちな身としては、ちと疲れた2日間であった。
本日も、お読み下さりありがとうございました(^ ^)