働かないって、ワクワクしない?
という図書館で借りた本を読み終えた。
この本は2003年に出版された本を2013年に新書化して発刊されたものだそうだ。
正確には、完全に働かないわけではなくともバリバリ働いてお金を稼ぐよりも収入が少なくてもスローペースで働いて、自分の自由時間を大切にして人生を充実させよう、という内容である。
ここでいう自由時間とは、仕事の合間の余暇活動という意味ではなく人生における自由な時間のことである。
もちろん、バリバリ働いてお金を稼ぐことが生きがいになっている人や、働けど働けど我が暮らし楽にならざる人(我が家も含め)のほうが世間では一般的で、この意見が全てあてはまるわけではない。
ただ、その中でも仕事以外に楽しみを見つけようということだ。その時間を使って仕事に結びつけようとせずに。 それには必ずしも多くのお金をかける必要はない。
また、その自由時間の過ごし方も重要で 人間的な成長につながるような過ごし方を勧めている。
能動的な自由時間。 受動的な自由時間が必要なタイミングもあるが、バランスをとったほうがいいと著者は言う。
人間的な成長のために自由時間を過ごす、というのは仕事に没頭するよりもある意味では努力が必要なのかもしれない。
著者はカナダの人らしく北米の現実に ついて描かれているが 日本でもあてはまる部分が多く共感できた。
体調管理も仕事のうちとよく言われるがこの言葉もなんだかな、とは以前から思っていた。
ゴールデンウィーク直前、過呼吸で会社を休んで以来会社に電話することすらできなくなり、ジョブコーチさんとも相談してついに会社を辞めた。 また履歴書の職歴欄に書くことが増えたわけだ。
わりと最近、短大時代の友人でここ何年かはメル友状態の友人に、色々と愚痴を聞いてもらって質問されたことがある。
彼女は、わたしが(9割方仕事で)相当病みやすいことも発達障害があることも知っている。
「どうして、そんなにつらい思いしてまで外で働くの?」
そのときは、 家にいると子供がいないのに働いてない罪悪感と仕事を続けることができない劣等感で、家にいると死にたくなるから
ということと
将来の貯金の為にも外で働いてるほうがマシだと回答した。
彼女は精神疾患があり、働くことが難しい為障害年金で生活している。 彼女にも苦しいことや悩みがたくさんあり、辛い経験もたくさんたくさんしてきたと思う。
しかし、少なくとも自分を受け入れてその中でも人生における自由時間をみつけているように見える。
私の今年の目標、「自分を受け入れること」。
この本を読んで、彼女の質問が自分の中でさらに大きな課題になった。
また、この本を読んで、仏教寺院の一つである祇園精舎建立のエピソードを思い出した。
ある日、スダッタは、釈迦の説法を聞いてこれに帰依し、彼に説法のための寺院を寄付しようと思い立った。そして見つかった土地が、ジェータ jetṛ、祇陀)太子の所有する園林 vana) であった。その土地の譲渡を望むスダッタに対して、ジェータ太子が「必要な土地の表面を金貨で敷き詰めたら譲ってやろう」と戯れで言った。しかし、スダッタが本当に金貨を敷き詰め始めたため、ジェータ太子は驚いて、そのまま土地を譲渡し更に自らも樹木を寄付して、寺院建設を援助した。(Wikipediaより)
これは手塚治虫の『ブッダ』では ブッダと弟子が後日一文無しになったスダッタと再会した時に、 大金持ちの頃はいつ財産を奪われるか気が気でなかったけれど、いまはその心配がなくなった、というエピソードが後日談として描かれていた。(ここは作者の脚色かもしれないが)
今後、自分のような人間にとっての働き方、社会との関わり方について考えさせられる内容だった。
この機会に、自分にとっての自由時間の使い方に思いを巡らせてみようと思う。
読み終えた後、自分でも購入しようと思う良作であった。
本日もお読みくださり、ありがとうございます(^o^)